誠章 的个人资料「好きです!日本」前衆議院議員赤池まさあきの国政...照片日志列表 工具 帮助

日志


2月7日

2月7日は「北方領土の日」

 2月3日(日)の節分では雪が降り、寒い日が続いております。いかがお過ごしでしょうか。

 翌4日(月)は、路面凍結の中で、甲府駅北口で街頭演説を行いました。日が出て、路面の凍結が融け出した中で話しました。車の中から激励を賜り、感謝感激でした。

 6日(水)には補正予算を可決しました。今日7日(木)からは衆議院では予算委員会が始まりました。

北方領土の位置

●今日2月7日は北方領土の日

 今日2月7日は「北方領土の日」です。

 今から153年前の1855年のこの日、日魯通商条約(下田条約)が調印されました。江戸幕末期、ペリーの黒船来航から2年後のことです。日露両国は国交を正式に樹立し、択捉島(えとろふとう)とウルップ島の間の両国国境を確定しました(樺太は両国民の混住地とされた)。それから20年後、明治維新後の明治8(1875)年、日露は「樺太千島交換条約」を締結し、日本は千島列島(シュムシュ島からウルップ島までの18島)をロシアから譲り受ける代わりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。以上の2つの条約から、北方四島は日本の固有の領土となったのです。

 しかし、第二次世界大戦末期の昭和20(1945)年8月9日、広島原爆投下の翌日、ソ連は日ソ中立条約に違反して、日本に対して参戦しました。8月15日終戦後の8月29月から9月5日の間に、北方四島を占領し、島に住む住民約1万7千人は強制退去させられました。昭和27(1952)年サンフランシスコ平和条約によって日本の主権が回復し、連合国軍の占領から独立しましたが、ソ連は署名を拒否し、北方四島の占領は続きました。昭和31(1956)年日ソ交渉によって、平和条約締結後に歯舞、色丹両島の返還は決まりましたが、日本が返還を主張した国後島及び択捉島の帰属の問題について合意が達成できなかったため、とりあえず共同宣言を締結して外交関係を回復し、平和条約交渉を継続することとして、領土問題の解決を将来に委ねました。

 

●「ねじれ国会」が日本外交の停滞を招く

 現在ロシアは、プーチン大統領の強いリーダーシップのもと政治的安定を実現し、豊富な天然資源を活用して9年連続プラス経済成長を続けております。その経済力の果実から軍事力の増強を続けており、核ミサイルは日本も射程に捉えており、引き続き警戒する必要があります。今年3月には大統領選挙が予定されておりますが、プーチン大統領は退任するとはいえ、首相に就くことが予想され、実質的支配に変化はないと思われます。

 日本政府は、我が国固有の領土である北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)の帰属に関する問題を解決して平和条約を早期に締結するという一貫した方針を堅持しています。また、北方四島の我が国への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期、態様については柔軟に対応する考えです。

 私はこの政府方針を支持します。領土問題は日本の歴史的な主権問題であると同時に、安全保障という今日的な問題でもあります。ロシアは伝統的に不凍港を目指して、南下進出を国是としています。その時にオホーツク海から太平洋に出るために、北方四島は地政学的に決定的な意味を持ちます。ロシア外交は伝統的に軍事力を背景としており、日本もミサイル防衛システム(BMD)など防衛力の質的向上を着実に進めながら、外交を進める必要があります。しかし、昨年来の「ねじれ国会」の影響から、日本の政治は内向きとなり、日本外交は停滞を余儀なくされております。ロシアとの要人往来も、昨年のラブロフ外相訪日、木村外務副大臣の訪ロ、ナルシュキン副首相の訪日、森元総理の訪ロなどに限られております。

 今年の北海道洞爺湖サミットを契機に、ロシアの新トップとの直接会談によって、平和条約締結と北方四島の返還実現への前進を望むものです。

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○お知らせと出席のお願い

◆本日2月7日「北方領土早期返還」のためチラシ配布と座談会開催

 午後4時30分から1時間 甲府駅南口

 午後6時から7時まで 座談会 赤池まさあき事務所1階

 主催 国家基本問題を考える山梨の会